matashiのブログ

大阪府松原市「クイズマジカルエンパイア」主宰の持多待足によるブログ

今こそ大阪に来た理由を明らかにします!①

「またしさん、なんで大阪に引っ越したの?」「仕事は、どうなさるんですの?」いろんな人にこれを聞かれて、あるときは子供のためとか母親のためとか、あるときはプー太郎となったなと自虐的に笑いに持っていき、はぐらかしてきましたが、いよいよもって明かすときが、来ました。

ぼくは、大阪でクイズを常時楽しめるクイズサロンを起こすために三重での生活基盤、家も職も全て投げ放って出て来ました。以下は、そうするまでの経緯や、その店を起こすにあたりビジネスとしてどう勝算があると考えたかなどを超長文で書きます。

はじめ思いついていたのは、QMAをやりながら酒も飲めるバー、QMAバーでした。しかしあまりにも客層が狭すぎることやQMAランニングコストなど考えるとどう考えても割に合わなすぎる、ことでそれ以上考えませんでした。それが1年ほど前になります。
その後ぼくはアンサーアンサー稼働終了後早押しに飢えまして早押しボタンを押したい欲求からリアルクイズのサークルにいくつかお世話になることになります。
そこはQMAの大会とはまた全く違う意味で楽しい世界が広がっていました。決定的に違うのは、リアルクイズは問題作成者と出題者が必ずいます。QMAの大会は問題作成も出題もQMAがやってくれますから来場した全員が参加者となれますがリアルクイズではそれは絶対無理です。また、QMA大会はよほどの大人数でなければ来場した人全て参加可能ですがリアルクイズ大会は定員が一夜、いや数分で埋まります。
そこでぼくはなんとなく気づきました。リアルクイズ界は、解答したい人にたいして問題を作りたい人出したい人が圧倒的に不足なのではないか。そして、クイズサークルの企画もやってみて気づきました、問題作成の大変さに。うらどりと言われますが、その答えは本当にそれで合っているのか、異解はないか(例えば答えが「エベレスト」な問題を作ったならば、解答者が「チョモランマ」と答えてもそれを正解だと言えなければなりませんよね)、などを一つ一つ調べたりするのはとても大変です。また問題があまり簡単すぎては答え甲斐もないし難しすぎても参加者が苦しむことになりますのでそこの匙加減も必要ですし、問題文がしっかりしてないと異解が発生してしまう場合(例えば、「日本で1番多く安打を放っているのは誰でしょう」という問題は、日本プロ野球だけの話なのか日本人ならどこの野球での安打でもいいのかが曖昧になってしまいます。)もあったり、問題作成出題者になるには、少々やりたいだけではとても高いハードルとなっています。

しかし、その問題作成出題を専門としてやる者がいるならばそこに需要があるのではないか。そこで調べました。現在時点で常に同じ場所で毎日営業しているクイズサロンはありません。多くても週1回のところしか知りません。多くのクイズサークルは月に一度など、どこかの公民館の会議室など会場を借りて集まります。
これはおかしなことです。麻雀好きな人はいつでも好きなときに雀荘に行って、見ず知らずの人と顔を付き合わせ、楽しみます。囲碁将棋が好きな人はそういうサロンに集い、毎日でも楽しんでいます。クイズ好きは、そんな場所がありません?ならばつくってみれば、間違いなく需要があります!

クイズ界全体を見渡しても、クイズ協会が発足したり、中京地区で限定的なれど「天才クイズ」という老舗の番組が数十年ぶりに復活したり、QMAも今はやる気のあるプロデューサーがみえて、大会グレード化などの体系化や迷惑ユーザー排除活動など、将来に向けては右肩上がりな業界だと、ぼくは踏んでいます。


こないだまで三重の片田舎の時給990円の警備員でした。離婚歴もあり支払うもの支払うだけで精一杯です。それでも他に大したお金になるスキルがあるわけでもなく、その時給以下にならないように、あと20年くらいそのまま警備員をしていたことでしょう、何も思いつかなければ。しかし、思いついてしまいました。時機もよさそうにみえます。そしてぼくももう47歳、これ以上待っては、目が衰えて問題を書いてある細かい字を読めなくなります。気をつけてはいますが中年太りしたりあるいは見かけが老けてきたりするのは客商売のマスターとしてはマイナスとなります。なにより気力体力が落ちて新しいことにチャレンジなどできなくなります。
しかしながら、このようなかなりニッチな店を、三重で出して果たしてはやるかと考えたら、疑問でした。大人しくて保守的な三重県人です、そんな見たことのない店には進んで寄り付いてはくれません。また三重県は車社会で酒を外で飲む人にとって足枷がとても多いです。その点大阪ならば、人口そのものも桁がちがいますし、新しい目をひくものや夜出歩き楽しむことの大好きな風土です、やり方によってより多くの人を振り向かせられる、と考えました。

そんなことで、手持ちの資金が心許ないことや飲食店でのノウハウまねきねこでアルバイトしてた一年半の経験だけなことなどには目をつむり大阪に転がり来ました。そしてそうまでしてつくろうとしている店はどんな店か、②に続きます。